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名古屋地方裁判所 昭和62年(ワ)1242号 判決

原告 鈴木操

右訴訟代理人弁護士 加藤良夫

被告 名古屋市

右代表者市長 西尾武喜

右訴訟代理人弁護士 鈴木匡

同 大場民男

同 山本一道

右訴訟復代理人弁護士 吉田徹

同 鈴木雅雄

同 中村貴之

同 成田清

主文

一  被告は、原告に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年一月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その四を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は原告勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金五〇〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年一月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

被告は、名古屋市瑞穂区瑞穂町字川澄一番地に名古屋市立大学病院(以下「市大病院」という。)を設置する地方自治体である。

2  診療契約の締結

原告は、昭和五九年一二月二〇日頃から性器出血があったので、昭和六〇年一月四日市大病院産科婦人科を受診した。原告は、同日子宮筋腫と診断され、貧血状態を改善するため入院し、被告との間で、同日原告の疾病につき最善の診療をなすことを内容とする準委任契約を締結した。

3  診療経過

(一) 原告は、同月一三日午後一一時三〇分に頭痛を訴え、同月一五日午後六時に頭部全体の拍動痛を訴え、同日午後一〇時には頭痛及び腰背部痛のためナースコールをした。同月一六日午前三時一五分には腰背部痛とともに下肢のしびれ感を訴え、その後も腰背部痛と下肢のしびれ感は続いた。

同日午前九時過ぎ頃高須宏江医師(以下「高須医師」という。)らは、原告が頭痛、下肢のしびれ感を訴えていることを看護婦から聞き、原告を診察したところ、頭痛の訴とともに「少し頚部がかたい」という所見を得た。

(二) 同日午前九時五〇分から原告に対する子宮及び両側付属器全摘出術(以下「子宮全摘出術」という。)が開始された。

当初は腰椎麻酔を行う予定であったため、麻酔担当医は、原告に対し側臥位になって両膝を曲げ、その両膝を抱え込むように身体を丸める姿勢を取らせようとしたが、原告は項部強直があったためにその姿勢がとれなかった。

また、腰椎麻酔のため森下雅之(以下「森下医師」という。)、高須医師が少なくとも各一回、明石学医師(以下「明石医師」という。)が少なくとも二回ルンバール(腰椎穿刺)をしたが、いずれも髄液の中に血液が混入していた(以下「血性髄液」という。)。

明石医師は、原告が頭痛を訴えたこと、原告の頚部が硬い感じがあったため、脳動脈瘤破裂(クモ膜下出血)を疑い、その場所に居合せた新田正廣脳外科医(以下「新田医師」という。)に原告の診察を依頼したところ、首が固い感じがするが、ヒステリーではないかとの意見を得たため、腰椎麻酔を中止し、全身麻酔に切り換えた。

そして、中村光治医師(以下「中村医師」という。)を執刀者として、原告に対し子宮全摘出術をおこなった。

4  脊髄クモ膜下出血による後遺症の発生

昭和六〇年一月一七日午後二時、原告は、脊髄クモ膜下に大出血が発生して脊髄が障害され、両下肢完全麻痺、第二胸髄節以下の運動・知覚麻痺のため、歩行不能、排尿排便機能障害を負い、労働能力を全部喪失し、介護を必要とする状況となった。これは身体障害者福祉法別表に掲げる第一級の障害に該当する後遺症である。

5  被告の責任

(一) 市大病院の医師の注意義務

(1)  原告と被告との間で診察契約を締結したが、被告が設置する市大病院は、〈1〉大都市名古屋市における設備・スタッフの備わった「中核病院」であり、〈2〉最も高度な医療を提供しうる「大学病院」であり、〈3〉各科の診療科を備え、その総合力をもって、患者への医療サービスを提供できる「総合病院」であることから、原告に対し一般開業医等に比しはるかに高度の適切な医療を提供する義務がある。

(2)  また、右診療経過は単に原告の子宮筋腫のため子宮を切除することを内容とするにとどまらず、より重大な疾病が入院中の原告に生じた時には、その疾患について適切な診断・治療をなすべきことも含まれている。

(3)  麻酔科医の注意義務

麻酔科医の役割は麻酔を実施するのみではなく、患者の安全を確保するため、麻酔実施直前の患者の状態を把握すること、実施される手術に伴うリスクを判定することも重要な任務であって、患者の安全が確保されない場合、あるいは、重大な別の疾患が疑われる場合には、麻酔科医は主治医と協議し当日の手術を中止させる権限と義務を有するものである。

(二) 市大病院の医師の過失

(1)  子宮全摘出術前である一月一五日午後一〇時頃には、原告には脊髄クモ膜下出血が起こっており、頭痛・腰背部痛・下肢のしびれ感等の異常所見がみられたから、同月一六日未明にはその診断も可能だった。

しかるに、市大病院の医師はこれを看過した過失がある。

(2)  明石医師らは、子宮全摘出術に先立ち、腰椎麻酔のため穿刺針の先端がクモ膜下腔に入ったことを確認する手段としての腰椎穿刺を行ったが、森下、高須各医師が各一回腰椎穿刺をしたところ、いずれも血液様の液体が出てきた。

明石医師は、同医師を含め三人の医師が少なくとも四回腰椎穿刺をして、四回とも穿刺の先端から血液様のものが流出するという異常な事態に直面している上、当時原告に頭痛があり頚部に固い感じもあったので脳動脈瘤破裂(クモ膜下出血)をも疑ったというのであるから、脊髄クモ膜下出血の確定診断をするため、腰椎穿刺の際に流出した血液様の液体が純粋の血液(穿刺針が血管を傷つけたことにより出たもの)か血性髄液(穿刺針の先端が脊髄クモ膜下腔に正しく到達していたが、脊髄クモ膜下出血が起こっていたため、本来透明である髄液に血液が混じって赤くなっている状態)かを検査、鑑別するとともに、緊急性のない子宮全摘出術を一旦中止して、安静を保って原告の意識レベルを正しく検査し、原告の全身状態を詳細に検討すべきことを中村医師等に申し出る義務があった。

(3)  更に、一月一七日午後二時以降脊髄クモ膜下に大出血が起こったが、下肢が完全に麻痺になった時点から、できれば六時間以内、遅くとも二四時間以内に椎弓切除術により減圧の処置をとれば、統計的に見て三分の二の事例については松葉杖等を使用して歩行することが可能であったのであるから、市大病院の医師は、速やかに椎弓切除術をすべき義務があった。

(4)  しかるに、明石医師は、右義務を怠り、腰椎穿刺によって血液様の液体を引いた際、穿刺針の基部と液体が床に滴下したところを見ただけで右液体が真実は血性髄液であったにもかかわらず純粋の血液であると断定して右液体の検査を怠り、更に、従前の経緯を十分に知らない新田医師の「ヒステリーではないか」との意見を安易に受け入れ、原告の意識レベルの検査や病態を解明すべき義務を怠り、全身麻酔に切り換えて麻酔術を実施した。

また、市大病院の医師は、下肢が完全に麻痺になった時点から、できれば六時間以内、遅くとも二四時間以内に椎弓切除術をしなかった。

(5)  なお、新田医師が原告を診察した際、腰椎穿刺により血性髄液が認められたことまでも正しく知らされていたにもかかわらず、同医師が「心理的なもの」と判断したのであれば、同医師の誤診である。

(三) 因果関係

(1)  そして、中村医師を執刀者として子宮全摘出術を行った結果、右手術による創痛・いきみ・血圧の上昇が引き金となって昭和六〇年一月一七日午後二時脊髄クモ膜下に大出血が起こった。

(2)  右手術が一旦中止されていれば、原告のクモ膜下出血は容易に確定的に診断でき、直ちに血管撮影やCT写真等によって出血部を特定し、当日のうちに緊急手術がなされていれば、前記大出血は発生しなかった。

(3)  右手術を実施したために、原告のクモ膜下出血に対する診断・治療は大幅に遅れ、適宜に適切な処置は全くなされなかった。

(4)  以上によれば、医師らの過失と原告の後遺症との因果関係があるといわざるを得ない。

(四) 被告は、市大病院を設置し、明石医師らを雇用しているから、履行補助者ないし被用者である明石医師の過失について、債務不履行責任ないし不法行為責任(使用者責任)に基づく損害賠償義務を負う。

6  損害

(一) 逸失利益 金三一〇三万四〇〇〇円

原告は、前記のとおり脊髄クモ膜下出血に伴う後遺症により労働能力を一〇〇パーセント喪失したものであるが、本件事故がなければ、右事故時(昭和六〇年一月一六日)の原告の年齢五四歳から就労可能年齢六七歳までの一三年間、平成三年賃金センサスによる女子労働者平均賃金三一六万円を下回らない収入を得たはずであり、新ホフマン式計算法による係数九・八二一を乗じて逸失利益を算定すると、原告の逸失利益は三一〇三万四〇〇〇円となる。

(計算式)

三一六万円×九・八二一=三一〇三万四〇〇〇円

(二) 介護費

原告は、現在市大病院で介護を受けており、介護費を負担していないが、仮に退院して在宅介護をする場合、介護費用は一日につき一万円を下回らない。

(三) 慰謝料 二四〇〇万円

原告は、後遺障害別等級表第一級に該当する後遺症を負ったのであるから、その後遺症慰謝料は金二四〇〇万円が相当である。

7  よって、原告は、被告に対し、債務不履行もしくは不法行為に基づく損害賠償請求の内金として、金五〇〇〇万円及びこれに対する不法行為の日である昭和六〇年一月一六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2のうち、原告主張日時に市大病院産科婦人科を受診し、入院したことは認める。

3  同3(二)のうち、腰椎穿刺をしたところ、血清髄液が流出したことは争い、その余の事実は認める。

4  同4の事実は認める。

5  同5の主張は争う。

6  同6の事実は不知。

三  被告の主張

1  診療経過

(一) 原告は、昭和六〇年一月四日、不正性器出血を訴えて市大病院産科婦人科で外来受診し、水野金一郎助教授の診察を受けた。問診、双合診、Bスコープ(超音波断層撮影法)、血液学的検査の結果、原告は、子宮筋腫及び強度の貧血と診断され、貧血の治療及び子宮筋腫の手術目的で当日直ちに同病院に入院した。

入院後の主治医は中村医師、辻幸三医師(以下「辻医師」という。)、鈴木弥生医師(以下「鈴木医師」という。)であった。入院後の主治医の診察に際しても、原告は、昭和五九年一二月二〇日頃から不正性器出血が持続していること、動悸、立ちくらみ、嘔吐等を訴え、中村医師は、貧血に対しては早急に輸血治療の必要があり、貧血改善後に単純子宮全摘手術が必要と思われると説明した。

(二) 昭和六〇年一月五日血液学的検査及び血液像検査の結果、血液疾患を疑わせる所見は認められず、貧血の原因は子宮筋腫に起因する過多月経及び一二月二〇日から二週間以上にわたって持続した不正性器出血によるものであると判断され、同日より輸血を開始した。

(三) 同年一月一二日に貧血が改善されたのを確認の上手術日を一月一六日と決定し患者に説明した。

なお、一月四日の入院から同月一二日まで貧血症状が輸血治療により軽快した以外に特別変わった訴えはなかった。

(四) 昭和六〇年一月一三日午後一〇時頃腹痛、右背部痛、右大腿部の痺れ感を訴え、当直医は便秘と診断して浣腸を指示し、更に原告が頭痛を訴えたためセデスG(鎮痛剤)一包を投与した。

(五) 同月一四日午後六時頃左偏頭痛を訴えたため、午後七時主治医がセデスG一包を投与した。

(六) 同月一五日原告は朝から軽度の頭重感を訴えていたが、午後六時頭部全体の拍動痛を訴えたのでセデスG一包を投与した。午後八時不眠に対する不安を強く訴えたためベンザリン(催眠剤)五ミリグラムを投与した。午後一〇時頃原告は頭痛及び腰背部痛を訴え、ナースコールがあったが、看護婦の問診で悪心、嘔吐、眩暈等の症状の訴えはなく、特に異常な症状も認められなかったため、局所の冷湿布を行い様子をみた。

(七)(1)  同月一六日午前一時原告はナースコールをし、看護婦に腰背部痛を訴えたが、疼痛場所が移動してはっきりせず、やや興奮気味で不安な様子であった。

(2)  午前一時一五分当直医谷貝顯博医師(以下「谷貝医師」という。)の指示でソセゴン(鎮痛剤)一五ミリグラムが筋肉注射されたが、約五分後再度原告から疼痛の訴えがあった。

(3)  午前三時一五分、原告からナースコールがあり、腰背部痛、下肢のしびれ感を訴えた。

(4)  午前三時四〇分、原告からナースコールがあり、腰背部痛、下肢のしびれ感を訴えた。

(5)  午前三時四五分、原告は谷貝医師に咽頭痛、腰背部痛、下肢のしびれ感を訴えたが、腹部、下肢等に異常所見は認められず、同医師は、ヒステリー発作様の症状と判断し、手術に対する不安からの興奮状態と考え、午前四時にセルシン(鎮痛剤)一〇ミリグラムを筋肉注射した。

(6)  午前四時一五分原告から苦痛持続の訴えがあった。

(7)  午前四時二〇分原告の希望があったので原告の夫に電話して、来院を促したところ、午前五時原告の夫が市大病院を訪れた。同人に原告の様子を説明すると、同人は谷貝医師に、原告が自宅でも時々興奮したふるまいをすることがあったと述べた。原告は腰背部痛、下肢のしびれ感は変わらないと訴えていたが、表情などは少し落ちついた様子であった。

(8)  午前六時術前措置の指示に従い石鹸高圧浣腸五〇〇ミリリットルを施行した。

(9)  午前七時三〇分、麻酔医の指示による術前投薬ホリゾン一〇ミリグラムを筋肉注射した。

(10) 午前八時三〇分麻酔医の指示による術前投薬ソセゴン一五ミリグラム、硫アト〇・五ミリグラムを筋肉注射した。

(11) 午前八時四五分、バルーンカテーテル膀胱内留置及び術前膣腔洗浄消毒し(躯医師)、中村医師に対し看護婦より前日及び手術当日の患者の経過報告がなされ、一般状態より手術可能と判断し出棟した。

(12) 原告は、午前八時五五分中央手術部へ搬送されたが、その際、原告が頭痛、下肢のしびれ感を訴えているとの看護婦からの引き継ぎを受けて、高須医師と明石医師が原告を診察したところ、確かに原告は頭痛を訴え、少し頚部が硬いように感じられた。

第一一手術室に入室し、脊椎麻酔予定で原告を右上側臥位とし、森下医師が最初に腰椎麻酔のための穿刺をしたが、脊椎麻酔を行うべく、側臥位になって両膝を曲げ、両膝を抱え込むように身体を丸める姿勢をとらせようとしたが、項部強直があったためにその姿勢が取れず、更に、穿刺針からは血液様の液体が流出し、続いて高須医師が穿刺するも同様であった。

そこで、明石医師も腰椎穿刺をしたが、やはり血液様の液体が流出した。同医師は、クモ膜外の静脈叢の血液が穿刺針に逆流してきていると考えたが、原告が頭痛を訴えていたことや、頚部が硬い感じもあったので、脳動脈瘤破裂も疑い、他の手術室で手術の準備中の新田医師に診察を依頼したところ、「首が突っ張った感じがするが、頚部硬直というほどではない。術前からヒステリー様症状があることから、心理的なものではないか。」との回答を得た。

(13) そこで、明石医師は、中村医師と協議の上、予定通り子宮全摘出術を実施することとし、午前九時三〇分、脊椎麻酔の予定を変更し、全身麻酔を開始した。当初森下医師と高須医師が脊椎麻酔を担当する予定であったが、全身麻酔に変更したため、森下医師に代わり竹市冬彦医師(以下「竹市医師」という。)が担当した。

(14) 子宮全摘出術は午前九時五〇分に始まり、午前一一時三五分に終了した。

(八)(1)  同月一七日午前六時、当直の鈴木医師が診察したところ、原告の言動に不穏な状態と、上肢の振戦を認めた。診察により下肢腱反射に軽度の減弱を認めたが、病的反射は認めず、手術直後の患者の全身状態としては著しい異常所見は認めなかった。

(2)  午後二時、鈴木医師が診察したところ、原告は「首が痛くて曲らない」「頭痛」を訴えた。意識は明瞭で、見当識も正常であった。

2  被告の無過失

明石医師は、森下医師、高須医師が腰椎穿刺をしていずれも血液様の液体を引いたあとを受けて、腰椎穿刺を二回行ったが、いずれも血液様の液体を引いたことを確認した後、他の手術室で手術の準備中であった新田医師に診察を依頼し、「首がつっぱった感じがするが、頚部硬直というほどではない。術前からヒステリー様症状があることから、心理的なものではないか。」という回答を聞いて脳神経外科的な異常は発生していないと判断して、全身麻酔を施行し、中村医師らに子宮全摘出術を続行させたものである。

(一) 明石医師は腰椎穿刺を七〇ないし一〇〇回程度しか経験したことがなかったから、穿刺の経路で針の先端が血管を損傷・穿刺し、かつ、最初の一回の穿刺で血管を損傷・穿刺したことにより血腫(血液の貯留)ができ、その血腫のために何回も針が血腫を穿刺することは十分あり得ることであり、穿刺針から流出した液体は血液であった可能性がある。

(二) 明石医師は穿刺針から流出した液体を血液と判断したが、右判断に過失はない。間中鑑定においても「腰部の髄液腔と頚椎・頭蓋内の髄液腔は胸髄部の出血のために交通が不良となり、その結果腰部髄液腔では出血が幽閉されて血液に近い症状になった可能性はありうる。その結果、腰椎穿刺時、その血液に近い液体が流出したために、麻酔医が血性髄液ではなく血液と認識したとしても不思議ではない。」と述べている。

(三) 証人芦沢の証言及び意見書によっても、ある程度穿刺手技に習熟した医師が正しくクモ膜下腔に刺入されたと判断した場合に三回続けて血液様の液体を引いたときに「これは変だぞ」と考えるというものである。

森下医師は一〇例、高須医師は二〇例しか腰椎穿刺の経験がない。このような経験の少ない医師の腰椎穿刺に、明石医師は立ち会っていたわけではないので、明石医師(七〇ないし一〇〇例しか経験がない。)はどのような状況のもとに穿刺し、血液の流出をみたか知る由もない。

したがって、明石医師が二回血液様のものを引いて、正しくクモ膜下腔に刺入されなかったために血液を引いたと判断したとしても、同医師には過失はない。

また、明石医師は念のために脳外科の新田医師に診察を依頼し、その診断を受けているのであるから、脳脊髄領域の出血を想定した神経学的な検査を履践したというべきで、この点にも明石医師の過失はない。

(四) 明石医師が本件当時、脳神経外科的な器質的病変を疑わなかったことに過失はない。手術当時の状況を前提にプロスペクティブに判断すれば、貧血症状・下肢痛については、子宮筋腫・不正性器出血が原因と考えることができるし、他方、脊髄クモ膜下出血は、クモ膜下出血のうちで占める割合は〇・四ないし〇・六パーセントである稀な病気であり、脳神経外科医であっても生涯経験しない者もあり、ましてや神経疾患を扱わない診療科では念頭にも及ばないほど稀な部類の疾患である。しかも、二つの疾患(本件においては子宮筋腫と脊髄クモ膜下出血)が同時に起こることは極めて稀であり、何らかの症状があれば、子宮筋腫に起因するものであると考えることが自然であること、新田医師が原告の症状をヒステリー様症状と判断したことを総合すれば、明石医師が本件当時、プロスペクティブな判断として脳神経外科的な器質的病変を疑わなかったことに過失はないというべきである。

3  因果関係の不存在

(一) 本件子宮全摘出術に伴う創痛やいきみが原因で一月一七日午後二時に脊髄クモ膜下の大出血が起こったものではない。

(二) 脊髄クモ膜下出血の症状として、急激に麻痺が出現してくれば、減圧を目的とした緊急椎弓切除術を行うこともあり、脊髄の完全な麻痺が出現した後は、できるだけ早く(二四時間以内に)減圧処置をしないと十分な回復は望めない。しかし、本件子宮全摘出術を中止していたとしても、当時は、急激な麻痺が出現していたわけではないから、病歴を聞き、神経学的所見を十分に取り吟味して、レントゲン、CTを撮り、腰椎穿刺をし、脊髄クモ膜下出血らしいとなれば、更に造影CT、ミエロCTなどで脊髄造影をし、AVMということになれば、血管撮影に進む。右検査を施行するには一週間位は要するから、子宮全摘出術中止直後に緊急椎弓切除術に踏み切ることは考えられず、一月一七日午後二時の脊髄クモ膜下出血から二四時間以内に緊急椎弓切除術を完了することはできなかったというべきである。

また、一月一七日午後二時の大出血の時点では、脊髄内部の出血であれば、回復は望めず、本件の原告に発生した脊髄クモ膜下出血が脊髄内部の出血であった可能性は三分の二である。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1の事実のうち、医学的な主張事実については不知

2  同2、3は争う。

第三証拠〈略〉

理由

一  当事者及び診療契約の成立

請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二  診療経過

〈書証番号略〉、証人中村光治、同谷貝顯博、同明石学の各証言によれば以下の事実が認められる。

1  初診日(昭和六〇年一月四日)の診療経過

原告(昭和五年五月二〇日生の女性)は、昭和五七年朝元産婦人科で受診し、子宮筋腫との診断を受けたもののそのまま放置していたが、昭和五九年一二月二〇日から不正性器出血が持続したため、昭和六〇年一月四日、市大病院で、水野金一郎助教授の診察を受けた。診察の結果、子宮体部筋腫と診断がされ、血液検査、生化学検査の結果、著明な貧血状態と認められたので、原告は同日貧血の治療と子宮筋腫の手術目的で入院した。当時、原告は自力では歩行できず、車椅子を必要とする状態だった。

2  入院時の診療

(一)  一月四日(以下、特に断らない限り昭和六〇年とする。)入院後、原告は主治医の中村医師らの診察を受けたが、原告の入院時の現症は、過多月経、不正性器出血の持続、動悸や立ちくらみ、顔面表情不安、貧血あり、眼瞼結膜が貧血状で白色、胸部収縮期の雑音、脈拍数一〇〇(頻脈)であり、内診所見の結果、超手拳大の筋腫が認められた。

以上の診察の結果、治療方針を貧血の改善、子宮摘出と決定し、原告に対し、貧血手術と子宮、卵管、卵巣の摘出を行うと説明した。

(二)  一月五日、血液学的検査及びヘモグラム(血液像の検査)の結果、貧血が入院時より進んだことが判明したため、濃厚赤血球三本を輸血し、以後同月一一日まで輸血を継続した。

(三)  一月一一日、心臓、胸の所見の精査をしたところ、手術には影響はないとされたので、翌一二日手術日を一月一六日と決定した。

(四)  一月一三日午後九時三〇分、原告は看護婦に腹部痛を訴え、また、午後一〇時当直医に対し、腹部痛のほか、右背部痛、右大腿部のしびれ感を訴えた。午後一一時三〇分腹痛が軽減したが、頭痛を訴えたため、午後一一時四五分セデスG(鎮痛剤)を投与した。

(五)  一月一四日午後六時に原告が左偏頭痛、午後七時に頭痛を訴えたため、セデスGを投与した(効果がなければセルシンにする予定だった。)。午後九時頭痛は消失した。午後六時の血圧は最高一一八、最低六〇。

(六)  一月一五日、原告は、朝から軽度の頭重感を訴えていたが、午後六時に頭部全体の拍動痛を訴えたため、セデスGが投与された。午後八時、不眠除去のためベンザリン(睡眠薬)五ミリグラムが投与された。午後一〇時、頭痛、腰背部痛を訴えてナースコールがあったが、悪心、嘔吐、眩暈等の訴えはなかったので、看護婦は、局部にゼラップ(湿布薬)を貼った。

血圧は以下のとおり。

時間 最高 最低

午後六時 一六八 九二

午後一〇時 一八四 八〇

午後一二時 一四八 八〇

(七)  一月一六日午前一時、腰背部痛によりナースコールがされた。痛みの場所が特定できず、場所が移動するということであり、不定愁訴がみられたため、看護婦は、原告が興奮気味で不安げという感じを抱いた。午前一時一五分報告を受けた当直の谷貝医師の指示によりソセゴン(鎮痛剤)一五ミリグラムの筋肉注射がなされたが、五分後再び原告は疼痛を訴えた。午前三時一五分ナースコールがあり、腰背部痛、下肢のしびれ感、軽度の腹部膨張感を訴えた。午前三時四〇分ナースコールがあり、谷貝医師が診断したが、原告から咽頭痛、腰背部痛、両足のしびれ感等の訴えがあったものの、腹部、下肢等に異常所見を認めなかったことから、ヒステリー発作と判断し、セルシン一〇ミリグラムを投与した。午前四時一五分、疼痛が持続していた。午前四時二〇分、原告の希望で原告の夫に架電して来院を促したところ、午前五時、同人が市大病院に来て、自宅でも時々下肢がしびれる、頭、腰が痛いということがあり鎮痛剤を飲んでいたと説明した。午前六時、術前の定例措置としてSE(高圧浣腸)五〇〇ミリリットルを施行した。午前七時三〇分、ホリゾン(麻酔前投薬、鎮痛剤)一〇ミリグラムの筋肉注射をした。午前八時三〇分、手術前の前投薬の措置としてソセゴン一五ミリグラム、硫アト〇・五ミリグラムの筋肉注射をした。午前八時四五分、中村医師が当日初めて原告に接し、術前、膣腔内の洗浄をし、膀胱内に留置バルーンカテーテルを入れた。問い掛けに対しはっきりとものを言えない状態であり、中村医師は、原告に手術前に不安状態や興奮状態が出ており、不定愁訴の多い人と考えた。

血圧は以下のとおり。

時間 最高 最低

午前三時一五分 一六〇 七〇

午前七時三〇分 一三〇 七二

3  麻酔の施行

一月一六日午前八時五五分頃、明石医師は、高須医師から、病棟の看護婦からの申し送りで原告に頭痛、下肢のしびれ感があるから診てほしいと言われて、原告を診察した。意識は、話かけても返事がない状態であり、頭痛に対して、少し首を持ち上げて首の硬さを診たところ、少し硬いと感じた。明石医師は、病棟の看護婦の申し送り等を総合的に考えて、右症状は普段からあった症状で病的なものではないと判断した。

午前九時の最高血圧は二一〇、心拍数は毎分約一〇四であった。森下医師(腰椎穿刺の経験一〇回前後の研修医)、高須医師(腰椎穿刺の経験二〇回前後の上級医師)は二三ゲージの針を使用しても少なくとも各一回ずつ腰椎穿刺を行ったところ、いずれも血液様の液体が出た。

そこで、明石医師(腰椎穿刺の経験七〇ないし一〇〇回)が腰椎穿刺を行ったが二回続けて血液様の液体が出た。また、頚部硬直のため、腰椎穿刺時の背中を丸める体位がとれなかった。

明石医師は、右血液体の液体を床に落とし液体の色を見て静脈叢に針が刺さって血液が出てきたと考えたが、原告が頭痛を訴え、首が少し硬かったことから、他の手術室にいた脳外科医の新田医師に、腰椎穿刺をしても血液しか出てこないこと、術前から頭痛を訴えていること、首が少し硬いような気がするからと伝えて、原告の診察を依頼した。新田医師は、首を少し上げて首の硬さを診たり、腱反射を診て、術前から右のような状態があったことでもあり、特に問題はないと述べた。

明石医師は、中村医師に、脳外科医に原告の診療を依頼したことを伝えたところ、中村医師から、術前も同様の症状だったことを聞いた明石医師は、脊椎麻酔下の手術は不可能だが、全身麻酔下の手術は可能であるとの判断を示したので、全身麻酔下の手術を実施することになった。

4  子宮全摘出術の施行

一月一六日午前九時五〇分から笑気、酸素、フローセンを使用した全身麻酔下に(麻酔担当は竹田医師)、中村医師、花田講師、辻医師によって子宮全摘出術が行われた。午前一一時三五分手術が終了し(手術所要時間一時間四五分)、原告は午前一二時過ぎに入院室に戻った。

5  手術後の経過

(一)  一月一七日午前六時の血圧は最高一八〇、最低一二〇であった。午前中の鈴木医師による診察の結果、原告は、脱水症状で肢位に力が入らない状況であると認められた。午後二時、原告は首が痛くて曲らなかった。夕刻、脳外科の春日医師は、診察の結果、第一にヒステリー、第二に腰椎の動静脈奇形などの脊髄の出血性異変の疑いと診断した。右診断に基づき、一月一八日、神経内科を副科にして、原告の治療にあたることになった。

(二)  一月二二日頃から原告はやや発熱をして、二三日に尿路感染症が疑われたため、尿の細菌培養検査が行われた。一月二九日、腰椎穿刺をしたが、髄液は出ず、注射器で吸引し、黒褐色状の濃い胆汁様の液体を少し採取した。原告の発熱は続き、尿路感染症、DIC(播種性血管内凝固症候群)が疑われ、一月三〇日、胸椎一〇番目以下の触覚鈍麻がみられた。

(三)  二月二二日、頚椎側方穿刺によるミエログラフィーを施行したところ、胸椎二番で完全ブロックが判明し、同月二五日腰椎穿刺によるミエログラフィーを施行したところ胸椎の一一番で完全ブロックが判明した。同月二七日脊髄血管障害の部位が広範囲に渡っているため、手術の適応はないと診断され、リハビリテーションを行う方針を固めた。

(四)  三月一九日婦人科、神経内科、整形外科の三科によるカンファレンスにおいて、整形外科に転科した上で診断確定のための手術を検討する。四月二五日、原告は整形外科に転科した。

6  原告は、現在、両下肢完全麻痺、歩行不能、排尿・排便機能障害、肝機能障害のため、市大病院第二内科に入院している。

三  原告の現症の原因

前記認定、鑑定人間中信也の鑑定の結果(以下「間中鑑定」という。)、証人間中信也の証言(第一回)によれば、以下のことが認められる。

1  原告は昭和六〇年一月一三日午後一一時三〇分に腹痛と前後して頭痛が出現しているが、右頭痛は翌一四日午前一〇時には軽快している。同日午後六時に左偏頭痛が出現し、午後九時には消失している。一五日早朝から頭痛が出没しているが、間中鑑定によれば、一五日夕方までの頭痛は特別な疾患を疑わせるものでない。

2  一月一五日午後六時に頭部全体の拍動痛を訴え、午後一〇時には頭痛及び腰背部痛のためにナースコールをし、この頭痛は一六日午前〇時まで持続している。一六日午前一時、腰背部痛によりナースコールがされた。午前一時一五分報告を受けた当直の谷貝医師の指示によりソセゴン(鎮痛剤)一五ミリグラムの筋肉注射がなされたが、五分後再び原告は疼痛を訴えた。午前三時一五分ナースコールがあり、腰背部痛、下肢のしびれ感、軽度の腹部膨張感を訴えた。午前三時四〇分ナースコールがあり、谷貝医師が診察したが、原告から咽頭痛、腰背部痛、両足のしびれ感等の訴えがあった。午前四時一五分、疼痛が持続していた。

3  一六日午前八時四五分術前処置をし午前八時五五分中央手術室へ搬送され、午前一二時五分帰室したが、午後二時背部及び腰背部痛を訴え、午後三時「痛み止めがほしい」と何回も訴え、背部から腰部の痛みを訴えた。両下肢に痺れ感(特に左下肢に強い)、脱力感があり、自力で足を支えられない。午後九時、午後九時四〇分、午後一一時あるいは翌日にかけて興奮がはなはだしく、落ち着きがなく、聞き分けがない。一月一七日午後二時に頚部硬直があり、麻痺が急性に発症している。

4  以上の経過及びその後の諸検査の結果によれば、原告は、脊髄の動静脈奇形(AVM)の破裂により脊髄クモ膜下出血が起こったもので、前記診療経過を前提としてレトロスペクティブに脊髄クモ膜下出血が起こった時期を判断すると昭和六〇年一月一五日午後一〇時に脊髄クモ膜下出血が始まり、一七日午後二時に脊髄クモ膜下に大出血が発生したと考えられる。

5  脊髄クモ膜下出血は腰背部痛や頭痛を伴うが、クモ膜下出血の〇・四ないし〇・六パーセントとごく稀な疾患であるから脳神経外科でも生涯経験しないものもおり、まして、神経疾患を扱わない診療科では、念頭にも浮かばないほどまれな疾患である。神経専門医でない医師に、腰背部痛・頭痛・下肢の痺れをみて、まっさきに脊髄クモ膜下出血を疑えというのは過度の要求である。

四  原告は、一月一六日未明には原告のクモ膜下出血の診断が可能であったと主張するが、レトロスペクティブに判断すれば、脊髄クモ膜下出血が起こった時期を判断すると昭和六〇年一月一五日午後一〇時ころであり、右疾患の症状の発現と判断できるとしても、その時点で右疾患を診断するを期待することは難きを強いるものであって、右診断をしなかった医師に過失を認めることはできない。

五  麻酔科医の注意義務

麻酔科医の役割は麻酔を実施するのみではなく、患者の安全を確保するため、麻酔実施直前の患者の状態を把握し、手術に伴うリスクを判定することも重要な任務であって、患者の安全が確保されない場合、あるいは、重大な別の疾患が疑われる場合には、麻酔科医は主治医と協議し当日の手術を中止すべき義務を有すると解すべきである。

六  腰椎穿刺について

1  まず、腰椎穿刺の際に流出した血液様の液体は血性髄液であったか否かについて検討する。

前記認定のとおり、森下医師、高須医師が少なくとも各一回ずつ腰椎穿刺を行ったが、いずれも血液様の液体が出て、引き続いて腰椎穿刺を行った明石医師も二回続けて血液様の液体が引いたが、証人明石学は、同人が二回の穿刺によって引いた液体は血液であったと証言し、鑑定人上山英明の鑑定(以下「上山鑑定」という。)も、脊麻針の先端が穿刺の経路にある血管を損傷・穿刺し、かつ、最初の一回の穿刺で血管を損傷・穿刺したことにより血腫(血液の貯留)ができ、その血腫のために何回も針が血腫を穿刺することによって、穿刺針から血液が流出することがあるとする。

しかし、証人芦沢直文の証言によれば、脊麻針の最初の穿刺によりいずれかの血管の損傷、穿刺をして、その箇所に血腫(血液の貯留)ができたとしてもそれが静脈血であれば、比較的すぐに固まってしまうので、二三ゲージの針で刺して、何回刺してもそこから血液が逆流してくることは実際の臨床ではありえないことであることが認められる。

また、前記認定のとおり、昭和六〇年一月一五日午後一〇時に脊髄クモ膜下出血が始まっていること、また、間中鑑定によれば、腰部の髄液腔と頚椎・頭蓋内の髄液腔は胸髄部の出血のために交通が不良となり、その結果腰部髄液腔では出血が幽閉されて血液に近い症状になった可能性はあることが認められるので、明石医師らが腰椎穿刺をしたときに流出した液体は血性髄液であると認めるのが相当である。

2  間中鑑定によれば、「腰椎穿刺時、血液に近い液体が流出したために、麻酔医が血性髄液でなく、血液と認識したとしても不思議ではない。」と述べている。

しかし、〈書証番号略〉、証人芦沢直文の証言によれば以下の事実が認められる。

(一)  芦沢直文医師(以下「芦沢医師」という。)が調査した結果によると、二二、二三ゲージの針を使用していた平成三年当時の麻酔科医師(研修医も含む)が行った腰椎穿刺七五〇例中ブラディータップは一〇例であったこと、二五ゲージの針(二三ゲージより細い)を使用するようになった平成五年以降ブラディータップの事例はさらに少なくなっていること

(二)  腰椎穿刺をして四回連続して血液様の液体が出た場合、血性髄液を疑うべきであるというのは厳しすぎる要求ではなく、また、三人が続けて腰椎穿刺をした場合であっても、前に腰椎穿刺をした者の情報が入っている場合は一人が四回連続して腰椎穿刺をした場合と同様であると考えるべきであること

右によれば、腰椎穿刺を行って血液が出ることは、経験の浅い研修医を含めた事例の調査でも少なく、まして、四回連続して血液が出ることは極めて稀なことであるから、明石医師が森下医師、高須医師を引き継いで腰椎穿刺を行い、二回連続して血液様の液体を引いたとき、血性髄液を疑うべきであったとしても過度の要求を課すものでない。

しかも、前記のとおり原告は頭痛、腰背部痛を訴えており、かつ、頚部硬直のため、腰椎穿刺時の背中を丸める体位がとれない状態であり、さらに、明石医師自身、脳動脈瘤破裂を疑ったのであるし、証人中村光治の証言によれば、中村医師は、原告の入院時の貧血の程度、不正性器出血の持続から考えて、不正性器出血によって貧血を繰り返す恐れがあり、できるだけ早い段階で手術をしたいと考えていたが、超緊急性のある手術ではないことが認められる。

以上によれば、少なくとも、明石医師は四回目の腰椎穿刺において血液様の液体を引いた時点において、脳神経外科的異変に基づく血性髄液を疑い、脳神経外科医による専門的診察を受けさせるため、一旦は子宮全摘出術の手術を中止することを主治医らに申し出る義務があったものといわねばならない。

しかるに、明石医師は自己が実施した腰椎穿刺の際出た血液様の液体を床に落とし液体の色を見ただけで血液と判断し、全身麻酔術に切り換えて麻酔術を実施し、中村医師ら主治医に子宮全摘術を施行させた過失がある。

3  新田医師の診断について

前記のとおり、明石医師は他の手術室にいた脳外科の新田医師に、原告に腰椎穿刺をしても血液しか出ないこと、原告が術前から頭痛を訴え、首が少し硬いような気がする旨を口頭で伝え、原告の診察を依頼したところ、新田医師は、首を少し上げて首の硬さを診たり、腱反射を診て、術前から右のような状態があったことでもあり、特に問題はないとの判断を示したことが認められる。

しかし、新田医師は明石医師から、腰椎穿刺の回数、頭痛の時間、頻度、程度、投薬の経過等、原告に関する全ての情報を伝えたと認めるに足りる証拠はないので、新田医師の診断が充分な情報に基づいた診断であったということはできず、したがって、明石医師が、新田医師に診察を依頼したことをもって、注意義務を尽くしたとはいえない。

仮に、新田医師が十分な情報を得ていたとすれば、前記認定からすると新田医師は診断を誤ったといわざるを得ない。

七  因果関係について

1  子宮全摘出術と脊髄クモ膜下出血との因果関係について判断する。

前記認定によれば、原告の脊髄クモ膜下出血が昭和六〇年一月一五日午後一〇時に脊髄クモ膜下出血が始まっていたのに、翌一六日午前九時五〇分から全身麻酔で子宮全摘出術が実施され、一七日午後二時に脊髄クモ膜下に大出血が発生したことが認められる。

〈書証番号略〉、間中鑑定、証人間中信也(第一、第二回)によれば、以下のことが認められる。

(一)  ある調査によると、脊髄AVMの症状増悪時の状況は、三七例のうち、妊娠三例(八パーセント)、姿勢(前屈など、腹圧・静脈圧が高くなる姿勢で)九例(二四パーセント)、安静時三例(八パーセント)、活動時八例(二二パーセント)、外傷七例(一九パーセント)、いきみ七例(一九パーセント)である。

(二)  子宮全摘出術後の疼痛のためにいきむと静脈の圧を上げる結果となるのでAVMの圧を上げ破裂を誘発する危険があり、また、手術後前屈など腹圧を高くする姿勢もAVMからの再出血に好ましいことではない。

(三)  子宮全摘出術後の原告の状況は以下のとおりである。

(1)  一月一六日午後三時に痛み止めが欲しいと何度も訴え、午後六時以降ナースコール頻回あり、顔面紅潮し、口をへの字に曲げ、全身に力を入れてうなっていた。何を聞いても「痛い」「注射して」の繰り返しである。体動が激しい。午後七時疼痛(創痛)で自制ができない。午後七時一五分口を曲げ呻吟し、顔面紅潮変わらない。午後九時、身体を自分で左右に向け暴れる。

(2)  一月一七日午前〇時一五分創痛あり、午前三時体動多く、動かずにはいられないという。午前六時常に体のどこかに力を入れて動いている様子、全身の疼痛、特に背部痛を強く訴える。午前一一時三〇分終始自分で動き、ベッドの下の方に移動している。

(3)  血圧も一月一七日午前一一時三〇分には最高二〇四、最低一一〇、午後一時最高二〇六、最低一一二に上昇した。

(四)  しかし、自然の経過の中でAVMが破裂する場合もあり、原告の場合、前記手術そのもの、あるいは、術後のいきみ、姿勢が原因で再度の大出血の原因となったと言い切ることはできず、たまたま脊髄クモ膜下出血の症状悪化時に子宮筋腫の手術が行われたに過ぎない可能性がある。

以上によると、子宮全摘出術が一月一七日の脊髄クモ膜下の大出血の誘因となった可能性が否定することはできないが、右手術が一月一七日の大出血の原因となったとまでは断定することができない。

2  次に、仮に子宮全摘出術を中止した場合、原告の脊髄クモ膜下出血の治療をなし得たかについて判断する。

〈書証番号略〉、間中鑑定、証人間中信也の証言(第一回、第二回)、証人中村光治の証言によれば、以下の事実が認められる。

(一)  脊髄クモ膜下出血の診断法は、以下のとおりである。

(1)  詳細な神経学的検査を加える。

(2)  頭部及び脊髄のCTスキャンによる撮影を行う。出血が確認されれば、ミエログラフィー(脊髄造影)により、病変の範囲を確定し、その後血管撮影を行う。

(3)  腰椎穿刺をして採取した髄液を遠心沈殿し、上清のキサントクロミー色(黄色味)の有無、赤血球の破壊・変形像の有無を顕微鏡で調べる。(キサントクロミーは出血後、二時間程度で出現する。これにより、クモ膜下出血の確定診断が可能である)。

(二)  脊髄クモ膜下出血の治療法は以下のとおりである。

(1)  血管腫を摘出あるいは流入静脈の塞栓術を行う。

(2)  AVMの摘出。

(3)  急激に麻痺が出現した場合、減圧を目的とした緊急椎弓切除術を行うことがある(脊髄の完全な麻痺が出現したあとは、できるだけ早く(二四時間以内に)減圧処置をしなければ、十分な回復は望めない。ただし、出血により既に脊髄が破壊されておれば、手術による回復は望めない。)。

(4)  薬物療法としては、脊髄浮腫を軽減させ、微小循環を改善させるためにステロイド、高張液などを用いる。

(5)  機能予後をよくするためのリハビリテーションを行う。

(三)  昭和六〇年当時の医学水準、医療機器の普及の程度を前提とすると、医師が脊髄クモ膜下出血の疑診あるいは確診できた際にとるべき措置は、以下のとおりである。

(1)  単純レントゲン撮影、断層撮影、造影CT、ミエロCT(髄腔内に造影剤を注入するCT)、血管撮影、ミエログラフィー(脊髄造影)、骨スキャン等の検査をする(なお、現在極めて重要な検査であるMRIは昭和六〇年当時普及してなかった。)。

(2)  手術が可能であれば、血管腫の摘出あるいは流入動脈の塞栓術を行う。

(3)  急激に麻痺が出現した場合、足が完全に動かなくなってから(脊髄の完全な麻痺が出現した後)二四時間以内、できれば六時間以内に減圧を目的とした緊急椎弓切除術をおこなう。

(四)  昭和六〇年当時の総合病院の規模を想定すると、腰椎穿刺によって得られた液体の検査に二時間、その後、出血部位を特定するためのCTスキャンに一時間以内、ミエログラフィーに一、二時間、血管撮影に三時間から半日の時間を要する。緊急性のない場合は通常一週間くらいの時間をかけて検査を行うが、緊急の場合は一日以内で結論を出すのが望ましい。

そして、大学病院レベルでは緊急椎弓切除術は三時間で可能である。大学病院においては、緊急の場合であれば、飛び込みの検査が可能であるから、足が完全に動かなくなってから二四時間以内に椎弓切除術を行うことは可能である。

(五)  本件においては、子宮全摘出術による全身麻酔の影響、苦痛等によって、下肢の動きを見る検査が困難になったため、脊髄クモ膜下出血の確定診断を困難し、また、術後の措置、播種性血管内凝固症候群(DIC)などの合併症のために、クモ膜下出血に対する診療が、多少とも遅滞したことは否定できない。ただし、カルテには完全に麻痺した時点の記載がないので、何時の時点で緊急椎弓切除術を実施すべきであったかは明言できない。

右によれば、腰椎穿刺時に血性髄液を疑い、脳神経外科医による専門的診察を受けさせ、原告の身体状況を管理・観察しておれば、一月一七日午後二時の脊髄クモ膜下の大出血に対し、完全に足が動かなくなってから二四時間以内に緊急椎弓切除術を実施することは可能であったと認めることができる。

〈書証番号略〉は間中鑑定、証人間中信也の証言(第二回)に照らして採用することはできない。

3  しかし、〈書証番号略〉、証人間中信也の第二回証言によれば、脊髄クモ膜下出血の部位が脊髄外部であれば緊急椎弓切除術でかなりの回復が望めるが、脊髄内部であれば回復は望めないこと、前者と後者の比率は一対二であること、脊髄AVMの手術一七例のうち独歩、杖歩行可能は五例(三五パーセント)、装具、松葉杖歩行可能は五例(二九パーセント)、車椅子、寝たきりは五例(二九パーセント)が認められる。

右によれば、原告に緊急椎弓切除術を実施したとしても、後遺症を回避・軽減する可能性は小さいといわざるをえないが、しかし、後遺症の回避・軽減が全く不可能であったということはできないので、明石医師の過失と原告の後遺症との間に相当因果関係があるというべきである。

そして、証人明石学の証言によれば、明石医師は、昭和六〇年一月一六日当時名古屋市立大学助手であったことが認められるから、明石医師の使用者である被告は、原告に対し債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償責任がある。

八  原告の損害について

前記のとおり、緊急椎弓切除術によって回避・軽減しえた後遺症の範囲、程度が明らかでなく、特に、就業ないし家事労働の可能性についても明らかでないから、逸失利益の算定は困難である。

また、介護費について、原告は、原告が、現在市大病院に入院中で、同病院に入院している限り介護費の負担は生じない旨、しかし、同病院を退院した場合に介護費が必要である旨述べている。したがって、介護費は原告が退院した場合に必要であるが、原告の退院の可能性は明らかではなく、介護費の算定も困難である。

右によれば、本件の場合、財産的損害の算定の困難性をも考慮して慰謝料を算定するのが相当と思料する。

前記のとおり、原告には、現在、両下肢完全麻痺、歩行不能、排尿排便機能障害の後遺症があり、右障害は、後遺障害別等級表第一級(両下肢の用を全廃したもの)に該当するものであること、前記脊髄クモ膜下出血の診断の困難性、市大医師の過失の態様、後遺障害の回避・軽減の可能性その諸般の事情を考慮すると、慰謝料の額は一〇〇〇万円を相当とする。

九  よって、原告の請求は、金一〇〇〇万円及びこれに対する不法行為の日である昭和六〇年一月一六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 青山邦夫 裁判官 植屋伸一 裁判官 酒井良介は転補のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 青山邦夫)

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